ひきこもり生活で悟ることが出来たら宗教家になるの?

宗教家にはひきこもりが多いです。

ブッダもひきこもりでした。

キリストもムハンマドも悟りを開くまではひきこもりでしょう。

宗教史を見てみると、ひきこもりによって悟りを開くと言ってもいいくらいのひきこもりラッシュアワーとなっています。

しかし、現実のひきこもりは悟りを開いている人などいません。

いたとしても、それは見せかけのものばかりです。それは何故なのでしょうか?

説明力がなければひきこもりのまま

ひきこもりもブッタも同じ人間です。

宗教家といえ、それは違いありません。

しかし、ブッタとひきこもりうには大きな違いがあります。

それはなんでしょうか?

それは、

説明力です。

宗教家には、その宗教を広めるべく、説明力を持っています。

宗教家にはなくてはならない素質とも言えますし、ひきこもりには絶対にない素質とも言えます。

芸人がテレビでエピソードトークを語るように、宗教家も民衆の前でエピソードトークを語っています。

だから宗教家は芸能界へ憧れがあるのです。宗教家がテレビ界へ進出したがるのは、そうした説明力への憧れでもあるのです。

その憧れがあるかどうかが宗教家とひきこもりの違いです。

ひきこもりは宗教家とは違い、物事を説明しようとはお思いません。流れるままです。

それではいけないと宗教家とひきこもりの現状を見ればわかるのではないでしょうか?

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2014年3月23日 ひきこもり生活で悟ることが出来たら宗教家になるの? はコメントを受け付けていません。 ひきこもりについての考察